ニワトリ


  私が小さかった頃、田舎の祖母の訪問は何より楽しいことでした。お土産も嬉しいし、母の心も和らいでか優しくなります。お土産は仏供米(ぶくめ)袋に入ったお米に、卵に、私達にはかわいらしい鼻緒の新しい下駄。終戦間もなくのその頃、卵は充分に立派なお土産でした。祖母の田舎ではニワトリを何羽も飼っているのです。

 たまにではなく、一個を分けあってでもいいから子供達に毎日卵を食べさせたいとの親心からか、我が家でもニワトリを飼い始めました。小屋は納屋にさしかけるようにして父が手作りしました。止まり木もつき、寝床に新しい藁も敷きました。草を食べさせるときは庭に放し、逃げないように上から大きい竹がごをかぶせます。アサシラギ(ハコベのこと)という雑草はニワトリの好物で、籠の中で食べ尽くすと地面に円形の"はげ"ができます。そして又、次の草へ移動させるのです。

 子供にとってそのニワトリは家畜というよりペットそのものでした。やがて籠無しでも逃げることなく私達の後を追い、撫でられ、膝に抱かれコッ、コッ、コッと唄いました。学校から帰ると裏庭にいるコッコは縁側からひょいと家に上がり、お尻を振り振り玄関までつっ走って私達を出迎えるようになりました。暖かくて質量感のある異種の生き物のいとしさを初めて知りました。

 雷の鳴ったある午後、コッコはいなくなりました。雷鳴におびえたのでしょうか。心配で心配で妹と二人で探し回った挙げ句、近所の交番にまで迷子(じゃなく迷ニワトリ)の報告がないか尋ねに行きました。次の朝、彼女は帰ってきました。体の半分は濡れています。人の心配をよそにどこかの軒下で雨宿りをしていたようです。あの時の安堵感、今も忘れてはいません。

 共に暮らしたこのニワトリですが、だんだん歳老いて卵を産まなくなりました。母は私たちに断りもなくコッコを実家のニワトリ小屋に預けてしまいました。しばらく振りで見るコッコはたくさんのニワトリの中にまぎれていました。でも私や妹のことを覚えていて駆け寄ってくるのです。おじさんの話ではよそ者の彼女はいじめられているとのこと。その次に行ったらコッコは見あたりません。いじめられてかわいそうだから絞めて食べてしまったとのこと。あんまりです。ひど過ぎです。

 今、私は毎朝一個の卵を半熟で食べています。たぶん、一度も地面に生えるアサシラギなど食べたこともないニワトリの卵だろうと思います。ニワトリの世話も大変です。エサは一日も欠かせないし、水や藁の取り替えもあります。それに夏場は糞に蠅がたかります。昨今、田舎でもニワトリを飼っている家はまれです。いつしか、卵はごくごくありふれた安い食材になったのですから。卵が栄養の塊みたいな時代だったからこそ、あのような楽しいニワトリとの交流があったのでしょう。

 子供は"貧しい時代"などと自覚しません。どんなときも楽しいことを探す名人です。子供の楽しみ方は天衣無縫、天真爛漫ですが、大人の理屈との隔たりも敏感に感じ取ります。たとえ言葉にならなくとも。あのような手触り感のある時代も悪くなかったですね。(2004年記)

 2023年現在、ロシアとウクライナの戦争によりニワトリの飼料も高騰し、アフリカなどではニワトリを飼育できず大量に殺処分され、卵も店から姿を消していると報道されています。







コメント

このブログの人気の投稿

過去は現在

お風呂

産婆さんがやって来た