産婆さんがやって来た

 


 1950年(昭和25年)6月8日、私が4歳になったばかりの頃、妹が生まれました。その時のことは私の最初の記憶となり今も色褪せず思い浮かべることができます。家族で丸いちゃぶ台を囲んで朝ごはんを食べていた時、急に母のお腹が痛くなってきました。片手を後ろについて、もう一方をお腹にあてて反り返るようにして痛がっています。父はあわてて自転車に乗って産婆さんを呼びに行きました。

 次の記憶は茶の間の隣の部屋で産婆さんの介助を受けている母の姿です。障子に指で穴を開けて兄と代わる代わる覗いていたら、「こら!覗くまい」と、祖母に叱られました。産声の記憶は定かではありません。

 産室の隣の座敷に産湯のタライが置かれ、父、兄、私がタライを囲み赤子に産湯を使わせる産婆さんの手元を見つめていました。母は襖が開いた隣の産室からその様子を見ていました。湯上りに着せられた産着は兄のお下がりでした(敗戦後4年を経ていましたが、まだ物資は豊かではなかったのだろうと思います)。父や兄はどんな気持ちでこの新しい命を見つめていたのでしょうか。私は何もかもが珍しくて、ただただ見つめるばかりでした。裸の赤ちゃんしかり、畳の上のタライしかり、産婆さんしかりでした。

 当時の産婆さんは、お産の時だけ家にやって来るのではなくて、その後一週間か10日ほど毎日家にやって来るのです。母の産後の様子を見たり、乳の出具合を確かめたり、また出やすいように乳を揉んだり(マッサージしたり)するのです。私はワクワクして産婆さんの後をついて回っていました。その頃の産婆さんは赤ん坊のオムツまで洗ってくれるのです。家の勝手口の外にタライを出してオムツを洗っていた産婆さんの一挙手一投足を見ていました。6月の初めの空はまだ梅雨が始まっていなかったようで乾いて晴れていました。

 戦後は誰にとっても暮らしてゆくのがやっとの日々で、親は子供のことまでゆっくり構ってはいられなかったのでしょう、私はいつも祖母の膝の上でした。そんな平凡な毎日が、妹の誕生という出来事で突如刺激的でワクワクする日々に変わったのです。

 先日、92才になる母に、妹誕生にまつわる私の記憶を確かめてみまし。母はいちいち頷いて「そうや、そうや」と、懐かしんでいました。私の脳裏にかくもはっきりと刻まれるほど、妹の誕生という出来事は4歳の私には鮮烈だったのです。有史以来ついこの前まで、人の誕生も死も当たり前のように家の中にあったのです。幼い頃に、人の“生き死に”に関わる鮮烈かつ根本的な体験をしたことは、その後の私の人生観に関わらなかったはずはないと思っています。貴重な体験であったと振り返ります。(2013年11月記) 


     2023年2月13日に母は101歳で亡くなりました。あと5日で102歳という高齢でしたが家で亡くなりました。今では珍しいことかも知れません。                      

コメント

このブログの人気の投稿

過去は現在

お風呂